子猫殺し

の作家さんの反論記事を読む。


 「子猫殺しなんて大したことないんだよ」、と強調するために、すごい大風呂敷を広げているな、という感じ。「もし私が男だったら、事態は変わっていただろう」?つらい人生を送ってきたんだろうな。


 この人の言う、「生の豊穣さ」って何なんだろう。子猫を何匹殺しても、次々に新しい子猫を産む猫の繁殖力の強さのことなのだろうか。だが、生まれてもすぐ殺されることがあらかじめ決定しているのなら、それは無意味なものだ。


 10年以上生きる猫もいれば、病気や交通事故のために2、3年で死ぬ猫もいる。人間にかわいがられる猫もいれば、憎まれ、攻撃される猫もいる。このような多様な生き方(死に方)が可能であることが、「生の豊穣さ」ではないだろうか。対照的にこの作家さんは、「人間の迷惑になるから子猫は殺すべき」というひとつの価値観に支配されているかのようだ。


 私の想像になるが、悩み苦しみつつも子猫を殺す、ということをタヒチのお屋敷で繰り返すうちに、「悩み苦しむこと」がこの人にとっての一種の快楽に変わってしまったのではないだろうか。その方が、より強く自分自身を感じられるから。だとすれば、ネットでのバッシングもこの人には逆効果、ということになる。