政府は

自殺者数を、数値目標を設定した上で減らしていく、という。


 青少年の自殺については、爆笑問題の太田さんが言うように、「この世界に対する好奇心を持たせる」、ということでいいと思う。とりあえず二十歳まで生きて、いろいろな体験をしてみてはどうか、と。 


 問題なのは、世の中の見るべきものはほとんど見てしまった、中高年の人たちだ。自殺のことを、自決とか自裁とか言うこともあるが、自殺する人には「この世界で生きる上での基準」みたいなものがあって、それがクリアできなくなったと感じた時に自殺してしまうのではないだろうか。会社を潰してはいけない、とか、借金は返さなければならない、とか、この社会で認められる地位にいなければならない、とか。自殺は彼らにとっては自分自身に対する刑罰なのだ。

 
 「死ぬ気になればなんでもやれる、だから生きろ」、というのは単純過ぎるアドバイスだ。今までの生き方に行き詰った人を救うには、今までの「基準」を放棄させて、全く新しい道を歩ませる必要があるのではないか。その人を知るまわりの人たちが、「この人のこんな姿は見たくなかった」、「こんなことならいっそのこと自殺してしまった方が・・・」、と思うくらいの「変身」をさせてやる。どうしても自殺はだめだというのなら、そのくらいの不道徳が必要なのではないだろうか。 


 それは、決して「美しい」ものではない。だから、今の政府にはしょせん無理な話かもしれないが。