いろんなところで

平野啓一郎の「決壊」が話題だ。


 ドストエフスキーの「罪と罰」における神が存在しない今、私たちが殺人を赦すことは可能なのか、というのが大きなテーマだという。


 確かに神は存在しなくなったかもしれない。が、神はかつて人間が創り出したものであったこと、神は人間の比喩に過ぎなかったことを、私たちは知っている。あらゆる価値を決めてきたのは、人間だ。殺人を赦す、という選択もありうるだろう、と考えるのは、楽観的過ぎるだろうか。