広島高裁で

山口県光市母子殺害事件の判決が出た。


 この裁判が「厳罰化」の流れを作ったと言われているが、死刑制度をめぐる状況は、新たなステージに突入しつつある。最近では、死刑制度が殺人を誘発するようになった。すなわち、「死刑になるために人を殺す」人たちの登場だ。同じ日に、19歳の自衛官がタクシー運転手を殺して逮捕されたのが象徴的だ。


 彼らは、日常生活の中でドラマを作り出そうとする。自分が主役で、殺人事件を起こし、クライマックスが死刑、というわけだ。テーマは、自分が生まれ育った社会に対して、巨大な「NO!」を突きつけること。犠牲者は表現のための単なる素材に過ぎない。だから彼らは言う。「だれでもよかった」、と。


 殺人を犯させないために、命の尊さを教えるべきだと言う人がいるが、私は、教育がすばらしければすばらしいほど、それに落ちこぼれたときの反動は大きくなるのではないか、という気がする。むしろ、社会とか、その中での人間の人生とかいったものを、あまり評価するな、と教えた方がいいのではないか。社会に裏切られたと感じても、社会を恨んだり、怒ったりすべきではない。そもそも社会にそれだけの価値はないし、人生というのは薄汚れたものなのだ、と。全くの抽象論だが。