「バカの壁」

を、私はまだ読んでいない。だが、「『話せばわかる』は大ウソ!!」というキャッチ・コピーは知っている。実際に本を読んだ人の何倍もの数の人が、このコピーを目にしているはずだ。もしかしたら、本そのものよりもこのコピーの方が、社会的な影響力が大きいかもしれない。



 ・・・・・その少年は、医学部を目指して勉強していた。3代続く医者の家系。地元では有名な病院の院長である父親が自ら指導に当たり、時には手を上げることもある。少年は、それが当たり前だと思っていた。

 
 ある晩、いつものように机に向かっていると、父親が部屋に入ってきた。顔が赤く、ろれつが回らない。・・・酒臭い。手には、数珠を巻いている。葬式の帰りか。だれの?訊こうとして、やめた。ここではないどこかを見ている父親のうつろな表情が、怖かったのだ。

 
 数日後、両親の会話を聞くともなく聞いていた少年は、死んだのが父親の担当していた患者で、遺族が訴訟を起こすかもしれないことを知った。一生懸命勉強して医者になっても、こういうことが起こるのか。自分なら、どんな風に遺族の人たちと向き合うだろう。いや、そもそも「向き合える」だろうか。

 
 「『話せばわかる』は大ウソ!!」

 
 不意にそんな文字が、目に飛び込んできた。夕刊のスポーツ欄の下に載っていた、ある本の広告のキャッチ・コピーだった。なぜ今、こんなものが気になるのだろう。これはもしかしたら、「神の啓示」なのだろうか。


 「『話せばわかる』は大ウソ!!」


 自分は、自分ですらない、と思う。父親に言われるままに勉強し、志望校を選択してきた。きっと、これからも。行き着く先にあるものは?数日前の父親のうつろな顔を思い出す。このままでいいのかという問いを、だれにぶつければいいのだろう。父親だろうか?


 「『話せばわかる』は大ウソ!!」


 明日は中間テストの結果が発表される日だ。少年は英語が苦手だった。仮定法過去と仮定法過去完了の違いがわからない。「もし〜なら、〜だろう」。「もし〜だったなら、〜だったろう」。少年は、そのどちらの世界に今自分がいるのか、だれかに教えてもらいたいと思った。一体、だれに?


  「話せばわかる」は大ウソ!!


 言葉はもはや新聞記事ではなく、少年の頭のなかで繰り返されている。


  「話せばわかる」は大ウソ!!


 「話す」ことを放棄したとして、相手に自分の考えを伝えるには、どうすればいいのだろうか?


  「話せばわかる」は大ウソ!!


 しばらくして少年は立ち上がり、台所に向かった。



 ・・・・・これは私の、小さなウソ。